哲学

今日はセンター試験日ですね。

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哲学といっても自然科学や数学に興味があった。大学入試センター試験科目で倫理を選択したこと。当時は地理とか日本史・世界史は遠い世界の話でピンと来なかった。神社仏閣の多い地域に住んでいること、内省的な性格が相まって抽象的な事象に興味があった。これがきっかけで哲学関係の本を読んだり、勉強することとなった。袋小路の始まりである。自然科学や数学を背景としない哲学には特に懐疑的でかなりの批判を持っていて、特に宗教哲学は胡散臭く、苛立ちを覚えたの思い出す。言葉遊びに感じ、背景に思想も熱意も感じなかった。親が宗教に嵌っていたこともあった。生立ちというか人生が苦しそうに見えたといっていて、改心を進めた。親からすれば、それは教育間違いか育て方を誤ったのではないかという気がしたのだろう。親の責任なのか本人個人の問題なのか、それの堂々巡り、何の解決もしない、無駄な思考と無駄な問いに雁字搦めにあった。

私が私であるということ。そうすべてが私なのだ。ただそれだけなのに。

解脱というか解放の一つの契機になったのはプログラミング言語のHaskellを知ってからだ。この言語の背景には数学でいうところの圏論がベースにある。この考え方を知ってから、言葉というものに興味がなくなった。そうただ単にタグ付けをしているということなのだ。ごちゃごちゃいっているが、詰まるところタグ付けであり、何か新しい発見や考え方が産まれたわけではないというのが多くあるというのを知った。タグ付けを共通認知のように扱うのがコミュニケーションなのだ。一人であれば、世界とのコミュニケーションに言葉は必要ない。

”私の視ている世界がすべてであり、すべてがそこにある”

圏論を形作った男に興味が沸いた、そう座右の銘本で著者のグロタンディークである。その本をリスペクトし、オマージュするのが最も私が表現しうる形式だと考えている。その時の気分で書き方が異なるようなこのような雑記ブログが適当なのだ。

ヘボ飯

クロスズメバチは炒めるより、炊き込みご飯風の方が調理しやすい

ならば、どういう味付けにするといいのだろうか。

思い付いたのはおにぎりの具材に使うおかか(かつおぶし)と昆布

それぞれのダシと共に炊いて食べ比べ

まずはかつおぶしだし

味の変化に

次は

昆布だし

こちらはいい感じにヘボの味を引き出していて、しょうゆなしでもいける

最後にもうひと味、しいたけだし

 

これもしょうゆなしでいける

個人的な感想としては、こんぶ≧しいたけ>かつお でした

季節の自然薯料理

きのこと自然薯(つみれ風)の温そば

山かけご飯と

沢蟹ときのこのカルボナーラ+猪の舌塩

お好み焼き

 

生地に粘りがあるが、焼き上がり中はふんわり、ソース少な目の方がイモの風味が味わえる

揚げいも

お好みで塩やポン酢で頂きます

 

猪のバラ肉とイモのソテー(猪の油による軽いフライドポテト)