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茸採り物語

昔々、茸採りの翁という者が居ったそうじゃ

毎朝、散歩に出かけては何かしらのきのこを持ち帰って、その身を使って毒味をしていたそうじゃ

それを見ていた家族や近所の人たちはたいそう不思議がっていたそうじゃ

何せいっこうに体調が悪くなる様子がない

それを本人に聞いてみると

「わしゃあ、菌活しとるからのお」と

菌活?何を言っているのかさっぱり理解できずに困り果てておったそうな

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この前のノロで全部持ってかれたので、貝断ち中

料理について

薄々気付いてましたが、食材を獲るのは好きだが、自分が料理(調理)をすることにはそれほど興味がない

どちらかというと、食材の妙(組み合わせと味)に興味があるというか、出来上がりこんな感じに成るのかという発見が楽しみであり、その時々の旬とか地域色とかの組み合わせでどうするかを考えるのが面白い

ビジュアルハンターの時と同じくこれも言語化してみよう

フードデザイナーとかフードコーディネーターとかいろいろありますが、私はこれ

「自然から食材(部品)を集めて、加工し、組み立て、その機能(本質)を抽出する」

アセンブルとブリューをかけて、アセンブリュワー

ビジュアルハンター 兼 フードアセンブリュワー

変な肩書が増えていく

きのこ漫談

桂菌師の本日のきのこさん、いらっしゃい!

「どんな人が来るか、楽しみやね」「ほんとですね」

「山梨県○○町から来ましたシロヤマドリタケ」(どん)

「またけったいな人が来はったわ」「ふふふ」

「僕の口からはよう言われへんけど、誰かに似てるとか言われるでしょ?」

「もしかして、テ●ガですか?」「そう、白い粉を被ったテ●ガ」「まあ、いやらしい」

「普段は何されてるんです?」「ポルチーニ座という劇団に参加しています」

「道理で白い化粧をしてはるんや、歌舞伎俳優になったつもりで」

「実はこれお化粧ではないんです、地です」「地ーて、そんなことあるかいなあ」「へええ」

「その劇団には他にだれがいはるの?」

「団長のヤマさん、それに赤さん、紫さん、煤けさん、黄金さんなどのベテラン勢に、若手で団長の息子のモドキ君」

「なんやカラフルな劇団やね」「地ということはオタクも相当なベテランなわけや」

「実はそうでもないんですよ、知名度なら、息子のモドキ君の方がありますし、巷では紫さんの影武者(アルビノ)とか言われる始末で」

「なんや、そのへんはようわかりませんけど、ご立派になられましたなあ」

「ありがとうございます!」

「で、実際はどうでしたの?(お味は?)」

「それが役(同定)に夢中で、バラバラになってしまって」

「そんなこといーたかて、少しぐらいはいけたんとちゃいますの?」「ツッコまない」

写真(カメラ)遍歴

大学進学してからも写真(カメラ)のことはどこか忘れずにいた。

アナログからデジタルの過渡期であった。

フィルム現像のバイトをしていたこと。

デジタル一眼カメラを買って、フォトコンに参加したこと。

水中カメラマンもいいなあと思い、ダイビングのライセンスや潜水士の免許を取得したこと。

いろいろなプロ写真家の作品集を購入しては研究していたこと。

中でも、ポートレート分野ではU.S.氏 ネイチャー系ではE.Y.氏などが好きだった。

もう、機材とかテクニック的なものに拘りが無くなってしまって、多少ピンボケでもええやん?みたいな(ただの老眼かもしれないが・・・)

心の中に究極の一枚があった。名前もつけてないので、どこのフォルダにあるのか分らないでいた。探していたのがあった。

タイトル:水辺のベンチで憩うカップル(今つけた)

ネイチャー&ポートレート(自然と人物の融合)

野生への回帰

運動神経は悪い方ではなかった。そのため、スポーツ(野球)もそこそこやれてたが、どこか熱が乗らないやり方・過ごし方を送っていた。それがきっかけで同級生や顧問の先生らと衝突することがしばしばあった。自分では真面目にやっているつもりでも他からはどこか不真面目に見えていたのだろう(今ではそう思うという話)。内省的で言葉少なめ、なぜこういう行為をしているのか?というのを説明するのもめんどくさいし、どうせ言っても理解でけへんやろみたいな、斜に構えた考え方。小・中・高と惰性で続けていたものとの訣別はあっけない幕切れであった。やる気のなさから出た言葉に対しての売り文句に買い文句。

「それやったら、辞めるわ・・・」

高校で入部して、すぐに退部した。

その後、テニス部とかバスケットボール部などを仮入部してはいろいろ理由をつけて続けることはなかった。

それからというのも、部活動をするという選択をすることはなかった。その時は自分の性格・適性や人間関係の問題と捉えていたし、捉えがちだった。しかし、根本では全く違うということ。

そう、「(君の)その運動神経や性格は対人との競争で発揮されるものではない可能性がある」

もし、タイムスリップして過去の私に会えるなら、この言葉を贈りたい

「野に出てみないか?」「狩りとか向いてるかもよ?」と

ふたつのテクノロジーの可能性

個人的に生成AIで期待している分野があります。

imageとvoice分野が熱いです。

2D ≒ image(or video) to 3D

これは生物分類・検索の精度向上に役立ちそうな匂いがありますね。

RVC (Retrieval-based-Voice-Conversion)

とあるmusic videoをたまたま聞いてたんですが、それが生成AIで作成されたものとは気づきませんでした。いつか鳥類と会話できる日がくるかもしれませんね。

prompt依存は否めませんが、すごい時代になりました。

酷暑と極寒

暑いですね

今まで夏の現場仕事とか外活動は空調服を着ないでしてたんです(しかもヤッケ着用、見てくれも熱い)が、流石にもう限界で、ちょっと方針の変更を検討中です。

ちょうど今の時期はEvolution がやってて、格ゲーの世界大会ですね。

中東とか北欧はゲームコミュニティが盛んらしいです。

インドアスポーツの需要と相まって、ゲームが人気だとか。

その辺りの地域の暮らし方・遊び方を今後取り入れていきたいですね。

SF6でテリー参戦とかちょっとやってみたい

ビリヤニ

今年上半期のマイ流行語大賞と言えば、”ビリヤニ”

たまたま、お湯or水で食べれる”オ●●のビリヤニ”を購入していた

とある人に食べさせると、”これは少し違いますね”っと

何が違うん?と聞くと、”米が違うんですよ、本場のバスマティライスを使うんで”

ビリヤニとは、

インド亜大陸ムスリムにその起源を持つ混ぜご飯料理である。スパイス(通常はバスマティ米)、野菜などから作る米料理である。同じ米料理であるプラオ(ピラフ)とビリヤニとの違いは、プラオは生の米を炒めて魚介・野菜などの具材(生か軽く炒める程度)とスープと合わせて炊き込むのに対して、ビリヤニは原則として半茹でにした米と、別途調理された具材を合わせて炊き込む点にある

そんなことを思い出した

国産の長粒米に脚光 カレーブームで人気じわり

本場に合わせ 無印良品

パックで手軽 ウーケ

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/cee77e9d6f762a609b86f27c07836601be51bb13

ナイト山歩

散歩好きもここまで来たか。

普段朝山歩コースを夜に歩く。

もちろん、光源となるようなものは使わない。

自然と歩き方が変わる。

前傾姿勢のまま牛歩のようにすり足、片手は壁に(横に)、もう一方は前方警戒(顔の前側に)仁王さんのように

トレイルを踏み外さないようにそろりそろり

五感を駆使する

シカの鳴き声、藪を抜けるイノシシの足音

普段よりも鮮明に

ストーリーテラー

ちょっと昔語り

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ある課題、目的を解決するためにフィールドデータを収集し、解析し、主要な結論を得るためのストーリーを語る上での情報をアウトプットする。ざっと流れを辿ると、収集し、整理分類すること(第一ステップ)。コレクションしたものを俯瞰し、何かしらのストーリーを得ること(第二ステップ)。

知らないことを知っていることがある種のステータスだった時代とそれらを前提とし、何かしらのストーリーテリングが求められる時代

所謂、生態学を専攻していた一学生が垣間見た現実は旧時代と新時代の端境期であった。いや、それは正確ではない。今でも知られていないことを発見することが尊ばれることもあるし、ストーリーテラーが強いのはどの時代でも同じ。生態学は生物学の中でもマイノリティであったし、同級生の多くは分子医学生物学分野を志していた。ミクロの世界の方が知的に見えたし、就職に有利だろうという理由から人気があった。方やマクロ(フィールド)は泥臭いし、マネタイズしにくい分野であったため不人気だった。そんな生態学の中でも派閥みたいなのはあった。

そんな中でも数理・情報に長けている人らの研究は何かと注目されていた。

シミュレーション解析だとか、新しい技術でどうたらこうたらとか、

私が生態学専攻は単に性格からであって、フィールドワークの方が性にあっていそうという理由で選んだのだが、(今ではすごい不明瞭な理由だなあと思う)

フィールドワークなんかほんの研究期間の一瞬にすぎず、パソコンでのデータ整理や当時のソフトでmathematicaだとかRでごりごりとか

柄に似合わず、白衣姿でDNA抽出だ、分子ゲル泳動だのやってたり、

生態学でも量的遺伝学とか集団・個体群統計学みたいなのを勉強していた。

どこかでIT分野で就職した理由を”流行りだったから”と述べたことがあると思われるが、それも少し状況を加味すると、そもそもやっていることが”データサイエンス”なんじゃね?と思えて仕方がなかったからだ。

こんな本を読んでいたら、ふと頭によぎったのでここに残しておく

ますます狩猟採集民と現代って相性悪ーって思えるね