伐採&葦刈り

左側の道路から高車(17m)でギリ右側の水際のやつに届く範囲の伐採と届かないものはハシゴで登ってチョキチョキ

葦刈りは野鳥がどうとかで全狩りではなく、一部残し

カラシナ

残雪の中の河川敷の土手にわらわら

ごま油炒めに

ペペロンチーノ

進路相談

高校生の時の進路相談でその時の担任の先生に「何になりたいのか」「何を目指すのか」考えておくようにと言われ、面談の時に「ネイチャーカメラマン」と答えたのを思い出す。自然や生物が好きだから、N〇Kの自然番組作りするようなカメラマンになりたいと。で、返ってきた答えが「それだったら、頭が良くて大学ぐらいでとかないとなあ」だったと思う。カメラマンの専門学校に行くか、大学進学するか、工学系の大学進学を選ぶことにした。素直なバカであった。今から考えると、相談する相手の事を考えていなかった。阿保だった。失礼を承知で書くが、その先生は大学はいいところに行っていたらしいが、卒業後すぐに高校教師になったそれも国語(しかも古文が専門の)の先生だった。何の接点もない人にこれからの人生の事を相談していたのかと思った。

大学進学して卒業後どうするかという段になって、大学時代に学んだ事を活かそうとする同級生の傍ら、紆余曲折して自然科学系の大学を修了した私が全く未知の分野で就職することにした。まだいろいろと迷っていたが、とにかく歩を進めるしかない。無駄に時流に乗ろうとした。この時はまだ気づいていなかったし、決断できずにいた。とりあえず、大学生活の延長線上のレールから離脱した。敗退である。大学時代の恩師はそのレールでの処世術は教えてくれたが、その分野以外の事はほとんど知らないという事だ。これには私自身にも問題があった。本心をちゃんと考えていなかったのだ。まだそのツケを払えずにいた。

カメラマンになるということはどういうことだ?自然が好きとは?生物が好きとは?写真や映像を撮る事が本当に好きなのか?カメラで何かを表現するのが好きなのか?ただ、いろんなところに行って、旅行しているのを羨ましく思っただけなのでは?自然や生物を学問として探求することがはたして好きなのか?と

高校・大学と私にとって重要な事は教えてはくれなかったが、遠回りをしたからこそ感じれるものもあった

この時「何になりたいのか」という問いに対する答えは見つかっていなかったが、「何を目指すのか」という問いに対するヒントはあった。

哲学

今日はセンター試験日ですね。

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哲学といっても自然科学や数学に興味があった。大学入試センター試験科目で倫理を選択したこと。当時は地理とか日本史・世界史は遠い世界の話でピンと来なかった。神社仏閣の多い地域に住んでいること、内省的な性格が相まって抽象的な事象に興味があった。これがきっかけで哲学関係の本を読んだり、勉強することとなった。袋小路の始まりである。自然科学や数学を背景としない哲学には特に懐疑的でかなりの批判を持っていて、特に宗教哲学は胡散臭く、苛立ちを覚えたの思い出す。言葉遊びに感じ、背景に思想も熱意も感じなかった。親が宗教に嵌っていたこともあった。生立ちというか人生が苦しそうに見えたといっていて、改心を進めた。親からすれば、それは教育間違いか育て方を誤ったのではないかという気がしたのだろう。親の責任なのか本人個人の問題なのか、それの堂々巡り、何の解決もしない、無駄な思考と無駄な問いに雁字搦めにあった。

私が私であるということ。そうすべてが私なのだ。ただそれだけなのに。

解脱というか解放の一つの契機になったのはプログラミング言語のHaskellを知ってからだ。この言語の背景には数学でいうところの圏論がベースにある。この考え方を知ってから、言葉というものに興味がなくなった。そうただ単にタグ付けをしているということなのだ。ごちゃごちゃいっているが、詰まるところタグ付けであり、何か新しい発見や考え方が産まれたわけではないというのが多くあるというのを知った。タグ付けを共通認知のように扱うのがコミュニケーションなのだ。一人であれば、世界とのコミュニケーションに言葉は必要ない。

”私の視ている世界がすべてであり、すべてがそこにある”

圏論を形作った男に興味が沸いた、そう座右の銘本で著者のグロダンディークである。その本をリスペクトし、オマージュするのが最も私が表現しうる形式だと考えている。その時の気分で書き方が異なるようなこのような雑記ブログが適当なのだ。