“りょうし”と山(空)師に何の関係があるのか?
わからない。しかし、漁に出て、出漁しない期間をどう過ごすか?狩猟シーズンじゃない場合はどうか?と考えた時に思いついたのが山の仕事をすること、しかも特殊伐採をやる事だった。
これには木を伐る仕事がしたかったことと、漁で培ったロープワークが活かせること等諸々の思惑があった。
”さて、どうしたものか?”
またもや悩んでいた・・・
“りょうし”と山(空)師に何の関係があるのか?
わからない。しかし、漁に出て、出漁しない期間をどう過ごすか?狩猟シーズンじゃない場合はどうか?と考えた時に思いついたのが山の仕事をすること、しかも特殊伐採をやる事だった。
これには木を伐る仕事がしたかったことと、漁で培ったロープワークが活かせること等諸々の思惑があった。
”さて、どうしたものか?”
またもや悩んでいた・・・
猛暑日が続いて、体調を崩していました。
体感的に気温が35°Cを越える日は屋外活動は程々にしないともうしんどい。なので避暑を求めて「北へ」
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北海道は遠い記憶にある憧れの大地だった。
大学に進学しようと思った時にまず浮かんだのが北海道大学だった。
北海道大学工学部で、どの科にするかは正直なところ入れるなら何でも良かったし、入りやすそうな科を選んだと思う。
仮に入学出来たとしたら、何が出来るか、何がしたかったかと言われれば、「雪国の暮らし」「道内巡りバイクツーリング」人生初のフライトは受験の為で、雪国を想定した装いをコーデして受験に臨んだ。結果は二度の失敗(浪人時代も含む)。
それ以降、北海道とは縁がなかった。そして時は今。
雪国の暮らしもバイクツーリングもさほど興味が薄れていて、目下の興味は「フィールドワークの場」としての北海道。
農業、林業、漁業、狩猟といった一次産業の場としての。今回の移動手段は車&フェリー。
散歩のスケールを拡張したような感覚になった。道内をざっと一巡した。
フェリーで大間から函館に入り、釧路、網走、稚内、小樽。何が気になるかと言えば、植生、野生生物、農林水産業機械、そして今はもっぱら🍄 。
今後活動拠点になりそうな場所も見つかった。沖縄県八重山諸島と同様、定点観測をしていこう。
時は遡る200x年代
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都内で就職するため、上京することになった。
勤務・出社時間等はフレックス制が導入されていたので、朝の通勤ラッシュのおしくらまんじゅうを毎日経験しなくても済むという考えの元、
”どこに棲もうか?” 会社までD2Dで1時間以内、山海川に近い所で静かな場所という条件で二つの候補が浮かんだ。
神奈川県鎌倉市そして移住することになった千葉県流山市
下見で賃貸物件と街を徘徊してここにしようと思った。
”都心から一番近い森のまち” といううたい文句もあった。
決めては家賃が安いし、当時の流山市(正確にはTXおおたかの森とかセントラルパーク界隈)はお世辞にも栄えている感じではなく、これから発展していく街であって、面白みもあった。
それを証拠に借りたアパートの一室は築3年以内にもかかわらず、両隣は私が住んでいた時は空き部屋だった(まあ、これは駅から徒歩約20分かかるからかもしれないが)。
本当にとても静かだった。
小高い丘と山に挟まれていて、江戸川に近かった。
アパート横には公園があって、夜になると部屋から溢れた光でカブトムシなどの虫がわんさか押し寄せていたぐらいだ。思わぬライトトラップ
夏になると、流山江戸屋うなぎ店でうな重を食べ、アパートのベランダから三郷・流山花火大会を見ながら一杯やるのが楽しみだった。
思い返せば、この時もよく歩いていた。江戸川と公園の散策路及び駅までのコース
敢えてレトロな流山鉄道に乗って出かけるのも好きだった(中刷り広告がものすごいローカル臭)。
出張して近くまで行くと、少し立ち寄って街の変遷を感じるのも楽しみ
大阪吹田市に”四川”という中華料理屋があって、足繫く通った日々があった。
そこの野菜炒めがすごく好きで、関西を離れてからもちょいちょい通っていた。
その味を再現したくて、オーナーにレシピを聞いたけど、教えて貰えず、どうしたものか?と考え、「家のもんに少し食べさせてあげたい」と言って、ジップロックに詰めて持ち帰った事があった。
味の研究もするもなかなか再現できず、なんとなく近いものはいけるようになった。
しばらくして、数年ぶりに訪れてみると、潰れてなくなっていた。
中華料理屋にいっては野菜炒めを注文するが、どれもピンとこず、そこで食べた野菜炒めが忘れられないのをキクラゲを獲ったときに思い出した。
汝隣人を愛せよ
「あなたの隣人はなんですか?」
周防名人と若宮クイーンの隣人とは?
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近江神宮は少し思い入れがある場所だった
別にかるたに興味があったわけではないが、競技かるた大会が行われていることをそこで知った
とある漫画「ちはやふる」が話題になっていた
読んでみたら、面白い
作中キャラの若宮詩暢に感情移入してしまう
その時に作ったもの、句じゃなくて、歌か、これ
句もあった
ちょっとした共通の話題で言えば、イヤホン類ほとんどしないんですよね。
これちょっとした遊びなんですよ。
どんな音が拾えるのか?、みたいな
後、車運転している時も、街中ではそうでもないですけど、自然多い所だと、ウインドウ開けて、カーステレオかけないんですよね。
虫が入ってきて、嫌になるときありますけど。
これタイトルも遊びです。
絶望と書くと、何やらこの世の終わりみたいな感じがありますが、
居場所、存在意義、方向性をはっきりさせるのにこれほど効果的なものはないのも事実であります。
天災という意味ではここでの出来事は私にとって、ものすごいエポックメイキングなことでした。
天才(人)という意味で、これは太刀打ちできないと思った事があります。
それは1)生物の研究者を志していた時と2)IT分野で会社員をしていた時のことです。
1)について
とある学会でポスター発表をする機会がありました。学部生の時だったと思います。隣で発表することになった同年代の学生の人と暇な時に話す事があったのですが、国内の学会にもかかわらず、その人は英語のポスターを作成していました。
「なんで英語なんですか?」と聞くと、「英語論文を作成するついでだから」とかえってきました。これにはびっくりしました。もちろん、最終成果物を意識するのは当然の事なのですが、それをさらっと有言実行している事に驚きました。研究テーマも身近な題材を掘り下げていて、難しいテーマを、難しくやっているわけでもなく、着眼点とそれを掘り下げられる知識・アイデア、そして周りから期待されていることを平然とやってのける自然体に脱帽しました。
夜の宿でも一緒になりましたが、その時の事は今は覚えていません。
しかし、私が生物の研究者の道をすんなり諦めることができたのもこの出来事が一因になっていると思います。学術的探求心と呼べばいいのでしょうか、ざっくりと研究者としての資質みたいなもの、それとペーパーを書くという才能が絶望的にありませんでした。それからというのも、体験すなわちこの身をフィールドに晒す事しか道はないなあとぼんやりと考えるようになりました。
もう、その方の名前も売る覚えですが・・・
2)について
これは会社の元上司の方の話です。IT分野での就職は有り体に言えば、流行りだったからです。理屈はわかりますが、これも一度経験されている方ならわかる話ですが、プログラミングやシステム設計は才能です。なので、そんじゃそこらのちょっとの研修とかでどうにかなる問題ではないです。1)と同様ですが、圧倒的にこれらのスキルセットがありませんでした。一例を挙げると、プログラミングは文章を書くという行為に似ていると言われますが、ちょっと違うと思います。推敲はしていると思いますが、元上司が機械言語を扱うレベルは息を吸う・吐くあるいは心臓の鼓動・脈拍レベルなんじゃないかと錯覚させるほどスピードが異常に早い、それもどの言語がとかではなくて、これはもうコンピューターと脳と手(コマンド入力)が同化しているとしか思えないほどです。それに加えて、その上司の方は寝食忘れて(大袈裟ですが、大袈裟ではありません)を地で行く方だった。
”好きこそものの上手なれ”を越えていると思いました。
IT分野は面白いのは確かですが、今後の付き合いは嗜み程度にしておこうと・・・
才能論とかめんどくさいので、語りませんが(書く能力がない)
人生=○○だと思います、以上