目覚め

精神疾患と私

私が望む/望まないにかかわらず、覚醒するには2つの出来事があった。

当時不眠不休の徹夜仕事が発生していて、飲まず食わずとは言わないが、飲むのはカフェインを含むもの、満腹すると眠気に襲われるのを防ぐため軽食(昼におにぎり一つ)を取るだけ、唯一寝落ち出来たのはリフレッシュするためにお風呂にはいるための帰宅途中の電車の中という生活が続いた。

この後、仕事の完遂の満足感を得ることもなく、何か憑き物がこぼれる感覚があった。

その後、あの東日本大震災に遭った。満足に生活が送れない不自由な日々が続いた。と同時に憑き物の崩落が起こった。食べ物をどうするのか、こんな状況でそれでも人間は退屈を何かで紛らわせたくなる、しかし何ができるのか 隣町まで開いているスーパーに徒歩で買い物に出かける、水道はでないし、温かい風呂には入れないけど、川に行けば、水は手に入る。停電を免れた地域に出かけては人工的な娯楽に勤しみ、気を紛らわせる。

この時だ、こんな人生を私はおくりたかったのか と自問自答するのと同時に、自然災害に遭いながらも自然と繋がりのない生活をこれまで如何におくってきたのかというのを嫌でも味わう破目になった。

すると思考がパッと決まった。自然の中で食うのと娯楽感を味わえるものは何か?はたしてそんな職業があるのか?幼少期の原体験を追想した。ちょっとした冒険・アウトドア遊びや昆虫採集に熱中していた時のことを。

そうだ山/海で”りょうし”をやろう(敢えてひらがなにしておく)

ここで初めてこの生者が何者かになろうという意思が発揮された。これまでに漠然と自然と関わりのある仕事がしたいと思ってはいたと思うが、何かを掴みたいと本当に思ったのは初めてかもしれない。これまで身近に山はあったが、海を感じれるような場所に住んでもいなかったし、親しい人に実際の猟師/漁師もいなかった。現実的に猟師で生計を立てられるのか?漁師と言っても、よくわからない。がしかし、そんなことはどうでもいい。いかにしてその舞台に立つのか、それだけを考える日々が続いた。

そう世界の窓が目の前に現れ、行動を促すように、窓の隙間から光が差し込んできた。歩む道は見え始めていた。

興味の対象

歩く旅の記憶

散歩するのが好きだ。

歩いている目の前の景色は私だけのもの。

せっかちな性格なのに、散歩ではゆっくりと歩く。

その流れをじっくりと味わえる。

唯一、宗教絡みで興味をずっと持ち続けているのは山伏

天狗だの鬼だのとモチーフになったとされる山伏

『劒岳 点の記』という映画をご存知だろうか。

本当かどうかはわからないが、測量隊が初登頂するずっと前に山伏が登ったとされる痕跡があった。ネタバレになりそうだが、山頂には〇杖があったのだ。

このエピソードがたまらなく好きだ。

トレイルランニングに嵌っていた時期があった。

ちょっとした腕試しに大会に出ようと決意した。

高野山を巡る大会にでた。これが初大会で無事に完走できたし、中々の成績だったらしい。

その一年後ぐらいにサハラ砂漠マラソンにでた。何を思ってか地下足袋で出場した。足は豆がつぶれて、血だらけになったが完走した。

その前に練習がてら大峯奥駈道を縦走した。2泊3日テント泊、食料は持参、水は基本現地調達、最後ふらふらになりながら熊野に着いたのを思い出す。

道中出会った山伏のひとらに海外にはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路というトレイルがあるよと教わった。

この路を自転車で巡るのが今の目標

精神疾患と私

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続き、”精神疾患と私”について

幼少期の言動・奇行やそれに対する周りのありきたりな反応を羅列するよりも、そういう精神性がいかに狩猟採集をするうえで重要な能力なのかを説明してみたい。

過敏症

ナイーブと言われる事も多い過敏症ではあるが、過剰反応は益か不益か、敵か味方か、食か不食か、毒か薬か、といった境界を把握する意味での敏感覚に近い。特に音と動きには自然と反応してしまう。逆にそういったものとは反対のノイジーなものにはすごくストレスがかかる

例)木々の騒めき(風なのか、生物が動いてゆらしたのか)

健忘症

過敏症にも通ずるが、ちょっとした差分情報にメモリが割かれているので、どうもただストックするだけの情報に対して特に物忘れがひどい。関連性・紐づけとかが重要だと言われるが、本当の意味で自然を理解する上での生存(食)とか狩猟採集行動に不必要な知識は覚えようとしても無駄なんだと感じる。

例)きのこ探し

特定のきのこを探すというよりも普段見ていた景色に異物があるという感覚なんだけど、どうだろうか。

注意欠陥・注意散漫

狩猟採集に繋がらない行為中は常に夢想状態かつ白昼夢

逆にキョロキョロと余所見をしてしまう

多動性障害

じっとしていられないのは獲物を狙うとか捕食のための行為の初動を無理矢理制限させられているから

参考:

へんてこな贈り物―誤解されやすいあなたに–注意欠陥・多動性障害とのつきあい方-本

大人のADD-50のこつ という項目が良い

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル-本

自分の思考行動パターンが視覚優位か聴覚優位なのか はたまた両方なのか 把握することができた 他人の誰でもない私が私であることを一番最初に正当化してくれたのはこの本がきっかけ。自分というものを卑下してきた過去が晴れ晴れしく、清々しくて涙したことを覚えている。

INTJ https://www.16personalities.com/ja

これは最近わかった

※夜型生活

最近は特に私が夜行性の生者ではないのかがよくわかる

目覚め

影響を受けた人達2

思い返せばその時々にも業界ではちょっとした有名人ではあるが、キーパーソンになってくれた人達がいた。

  • その人に会いたくて石垣島に足繫く通うことになったY氏。
  • 狩猟という世界の導入になってくれて相談に乗ってくれたS氏。
  • 林業の事で変な質問をする者(私の事だが)にも親切丁寧に対応し、誘いの連絡もくれたK氏。
  • 今でも受け入れてくれているT舎代表のH氏をはじめメンバー達。

影響を受けた人達

猟師として影響を受けた時代と言えば、とある地方の勤務時代。その時の猟友会(鳥獣被害対策実施隊)の面々には影響を受けた。様々な職業を背景とした人たちが有害駆除活動に参加していて、鳥獣被害が叫ばれた黎明期に本業傍ら共に活動していた。その中でも特にO氏には多大な影響を受けた。市井の人で初めて凄みを感じた。

漁師として乗船していた時に同じ船に乗ることが多かったYさん。いろいろ手解きをして頂いたが、考えや動作がとても洗練されていた。根っこがスポーツマンでタバコを吸わないのが良かった。今でもその時の動きがフラッシュバックされるので普段の行動をするときに戒めというかクサビみたいな気持ちにさせる。

とある研修で一緒になったM君。会話こそあまりなかったが、生立ちが少し似ていて、私が当時やろうとしていることの先を若くして進んでいた。元漁師で趣味で狩猟もしていたからなおさらだった。

このメンツで様々なフィールドで遊べたら、さぞかし愉快だろうし、なんか組織を作ったら参加してくれないかなといつも思う。

進路相談

高校生の時の進路相談でその時の担任の先生に「何になりたいのか」「何を目指すのか」考えておくようにと言われ、面談の時に「ネイチャーカメラマン」と答えたのを思い出す。自然や生物が好きだから、N〇Kの自然番組作りするようなカメラマンになりたいと。で、返ってきた答えが「それだったら、頭が良くて大学ぐらいでとかないとなあ」だったと思う。カメラマンの専門学校に行くか、大学進学するか、工学系の大学進学を選ぶことにした。素直なバカであった。今から考えると、相談する相手の事を考えていなかった。阿保だった。失礼を承知で書くが、その先生は大学はいいところに行っていたらしいが、卒業後すぐに高校教師になったそれも国語(しかも古文が専門の)の先生だった。何の接点もない人にこれからの人生の事を相談していたのかと思った。

大学進学して卒業後どうするかという段になって、大学時代に学んだ事を活かそうとする同級生の傍ら、紆余曲折して自然科学系の大学を修了した私が全く未知の分野で就職することにした。まだいろいろと迷っていたが、とにかく歩を進めるしかない。無駄に時流に乗ろうとした。この時はまだ気づいていなかったし、決断できずにいた。とりあえず、大学生活の延長線上のレールから離脱した。敗退である。大学時代の恩師はそのレールでの処世術は教えてくれたが、その分野以外の事はほとんど知らないという事だ。これには私自身にも問題があった。本心をちゃんと考えていなかったのだ。まだそのツケを払えずにいた。

カメラマンになるということはどういうことだ?自然が好きとは?生物が好きとは?写真や映像を撮る事が本当に好きなのか?カメラで何かを表現するのが好きなのか?ただ、いろんなところに行って、旅行しているのを羨ましく思っただけなのでは?自然や生物を学問として探求することがはたして好きなのか?と

高校・大学と私にとって重要な事は教えてはくれなかったが、遠回りをしたからこそ感じれるものもあった

この時「何になりたいのか」という問いに対する答えは見つかっていなかったが、「何を目指すのか」という問いに対するヒントはあった。

哲学

今日はセンター試験日ですね。

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哲学といっても自然科学や数学に興味があった。大学入試センター試験科目で倫理を選択したこと。当時は地理とか日本史・世界史は遠い世界の話でピンと来なかった。神社仏閣の多い地域に住んでいること、内省的な性格が相まって抽象的な事象に興味があった。これがきっかけで哲学関係の本を読んだり、勉強することとなった。袋小路の始まりである。自然科学や数学を背景としない哲学には特に懐疑的でかなりの批判を持っていて、特に宗教哲学は胡散臭く、苛立ちを覚えたの思い出す。言葉遊びに感じ、背景に思想も熱意も感じなかった。親が宗教に嵌っていたこともあった。生立ちというか人生が苦しそうに見えたといっていて、改心を進めた。親からすれば、それは教育間違いか育て方を誤ったのではないかという気がしたのだろう。親の責任なのか本人個人の問題なのか、それの堂々巡り、何の解決もしない、無駄な思考と無駄な問いに雁字搦めにあった。

私が私であるということ。そうすべてが私なのだ。ただそれだけなのに。

解脱というか解放の一つの契機になったのはプログラミング言語のHaskellを知ってからだ。この言語の背景には数学でいうところの圏論がベースにある。この考え方を知ってから、言葉というものに興味がなくなった。そうただ単にタグ付けをしているということなのだ。ごちゃごちゃいっているが、詰まるところタグ付けであり、何か新しい発見や考え方が産まれたわけではないというのが多くあるというのを知った。タグ付けを共通認知のように扱うのがコミュニケーションなのだ。一人であれば、世界とのコミュニケーションに言葉は必要ない。

”私の視ている世界がすべてであり、すべてがそこにある”

圏論を形作った男に興味が沸いた、そう座右の銘本で著者のグロタンディークである。その本をリスペクトし、オマージュするのが最も私が表現しうる形式だと考えている。その時の気分で書き方が異なるようなこのような雑記ブログが適当なのだ。