“りょうし”への道-漁師編①

”有害駆除の捕殺員”を辞めて、またもやぶらぶらしていた。

海の漁師・・・海との関わりについてシリーズで触れたことではあるが、港巡りの旅を継続していた。

それはある目的のため、会社として漁をしている人らが直接求人募集を兼ねて集団面接会場に集合するというイベントが予定されていたので、それまでに少しでも現場の雰囲気を下見しておきたかった。

これまた、猟師の集まりさながら、それよりも腕っぷしと日焼けをした人らの集まりだった。

遠洋にするか、近海にするか。近海でも日帰りか、数日沖に停泊か。

近海・日帰りの一択であった。

二つほど目を付けていたブースで話を聞いた。

”興味があるなら、一度漁の体験でもせえへんか?”

ある会社と連絡をした。

午前3時に出港し、10時に網揚げ、12時には終了した。漁自体は不漁の日だったので、暇だったのだが、何もわからない私はそんなことも露知らず

”のんびりしてて、いいなあ”と

その後、昼のランチの食堂で今後同じ船に乗るかもしれない人たちと飯を食った。

魚のフライ定食だったと思うが、とにかくうまい!

これが毎日食えるのか

”あのー、お世話になろうかと思うんですが”

”何人か面接に来てたから、いろいろ判断するし、また連絡するわ”

その後、”いつから来れるんや”という連絡がきて、あー採用されたんだと

またもやここで、裏事情。補欠採用。今回もこのパターンかい!

船に乗る場所は奇しくも大学生活を過ごした同じ街だった。

“りょうし”への道-猟師編ラスト

趣味の狩猟の方はどうかというと状況はほとんど進展することはなかったが、この間に少しばかり繋がりができた。

地元の猟友会に所属して、今もお世話になっている。

”有害駆除の捕殺員”の仕事に終わりが見え始め、別の道を考えねばならない。

そう、温めていたある思い。海の”りょうし”をやるということを

ひと先ず、山の‟りょうし”は区切りが着いた。

この期間は私にとってかけがえのない財産となった。

“りょうし”への道-猟師編⑥

別の仕事とは飼養動物の管理つまり、動物園の飼育員みたいなもので、その施設の管理を任された。

生物を殺すこと、生物を活かすこと、両方の仕事をやることになったのだ。

二年目は個人的に至高の一年だった。

生物の観察・研究を思う存分堪能することができた。

ちょっとした事をすぐ試せるいい環境であった。

この頃から、農地に鳥獣の侵入を防ぐ防護柵の設置が施工され始めた。

これに伴い、獣の出現ルートが変化し始めた。

一年目のような何でもありな環境に出現するということは珍しくなったし、檻・罠による捕獲圧の高まりに伴い、それの対処に時間を要するようになった。

ある意味、鳥獣被害対策の安定期に向かいつつあった。

それと同時に、ここまで引っ張ってくれた上司が異動となった。

それは私の”有害駆除の捕殺員”としての仕事の下降曲線を辿ることを意味していた。

“りょうし”への道-猟師編⑤

趣味で狩猟をするという事の方がはるかにハードルが高く、計画は頓挫した。

免許取得はいいが、狩猟登録含めその他もろもろの手続きが煩雑で、思いの外時間がかかる。

鉄砲所持をするにも”趣味で”というよりも”仕事で”という方が警察に納得されやすい

この時は鉄砲所持は諦め、別の事を考えていた。

暗黙の了解でどのエリアがどの猟友会の縄張りなのかが、閉鎖的で外からはまずわからない。

銃猟をするもの、わな猟をするもの とは ちょっと相いれない。

地元の山を歩いてみた。

獣の気配が薄いし、鳥獣保護区になっているエリアも多い。

”こりゃ、ダメかな”

地元で狩猟をすることを諦めかけていた。

そんな折に仕事の方で任期の延長が決まった。

というより、新しい役職が与えられ、そのポジションに就くことになった。

不幸中の幸い、渡りに船とはこのこと。

新しい役職では、別の仕事(施設管理)を含む土日祝日の現場対応もすることになった。施設管理も面白そうだし、休みもなくなる可能性があるが、それも嫌ではなかった。むしろそれを望んでいた節があった。

”仕事があるから、遊びに行けないわ”という言い訳はもちろん、”遊ぶことよりもたのしい仕事があるから”というのが本音だった。

”有害駆除の捕殺員”は二年目に突入した。

“りょうし”への道-猟師編④

狩猟免許を取得するにはそれほど時間はかからなかった。

強いて言えば、医師の診断書ぐらいで、最初の受付で少し戸惑われるぐらい。

上司に免状を見せて、”とってきました”

”おーそうか、じゃあこの辺りは誰もやってないから、好きに掛けてみたらええわ”

やった!

自分が仕掛けた罠の見回りも仕事になった。

それらしい獣道に括り罠を仕掛けた。その時はすぐにはかからなかったが、2週間後ぐらいに中サイズのイノシシがかかっていた。

うおおおおー

この時の興奮は今でも忘れない。

散々今まで処理してきたはずなのに、この時は興奮で手足が震えた。

はあ、はあ、はあ、ついにやったぞ。念願の捕獲と止めさし。

猟師としての一歩。感無量である。

任期満了までにどれだけ経験を積めるか、それが勝負だった。

それからというのも、関わりのある猟友会のメンバーと罠猟についての話で交流が深まった。現役ハンターと同じ土俵に上がった気がした。

今思うといい時代だった。各支部・各エリア担当の猟友会メンバーと交流出来たことを。師匠という存在はいなかったが、いろんな人のやり方を参考にしながら独自の捕殺スタイルが形成されたこと。いい大人が本業傍ら狩猟に傾ける情熱。生き方や人生の楽しみ方をこの期間に教わった気がする。誰しも仕事上の愚痴や気に食わない事はあったと思うが、それを語るときも真剣であり、本当に狩猟が好きなんだというのがわかる。

一つのエピソードがある。齢80歳近くになる老ハンター。歩くのもままならず、杖を突いて山に行くのだが、罠をセットするには人一倍も時間がかかる。捕獲しても自分で仕留めることができないから、よく手伝うことがあったが、それでも見回りはできるからとその任務を放棄しなかった。縄張りを他の人に荒らされたくないというのもあるだろうが、

”わしゃ、狩猟がしたくて、ここに引っ越してきんだ、例え歩けなくなっても、飼うている犬に連れられてでも山に行ったるわ”

実際の見回りでは、犬の散歩がてら、犬に連れていってもらっていたようだ。

普通の用事であいさつするときはただの老人にしか見えないが、獲物がかかった時の反応は生気を取り戻したかのような目の輝きを放った。

狩猟というものがこの人の生きる活力なのだ。

そんなものが私にはあるだろうか(今はあると断言できる)。

もう一つのエピソードは影響を多大に受けた人物のO氏。

本業の事を聞くと、超多忙な感じの人であるが、緊急対応が必要な場面ではほとんど欠席をすることがなかった。動かしているものを考えると、大した金額を貰う仕事でもないし、そっちのけでやる事のメリットもないのにと思っていたのだが、狩猟の話をしているときは忙しさが紛れるのか本当に楽しそうに話す人だった。

ある場面では、全エリアの猟友会メンバーが一堂に会する研修会があった。もうそこに集まるメンツの濃いこと。その中でも若くして支部をまとめている姿は貫禄があった。

この人がいるから、後の人生で挑戦しようと思ったことがいくつもあった。

そんな貴重な時間にもタイムリミットが迫っている。魔法が解けるのをただ待つわけにはいかない。

もう一つのプラン、地元で趣味の狩猟をするというのを検討しなければいけない。

“りょうし”への道-猟師編③

それからというのも様々な現場を経験した。

檻&罠&網はしかり

”敷地内でよく出現するんだが、どうにかして”

”車&列車に引かれて、半やのやつがいるから、どうにかして”

”三面張りで山に帰れず、うろうろしているやつがいる”

”家の庭に佇んでいるんだが”

”テニスコートを走り回っている”

”川で泳いでいる奴がいる”

”畑の柵内の中をうろうろしていて、作物が植えれない”

などなど

一番面白い状況だなと思ったのが、”歩道にある縦の柵に鹿が挟まっているから、なんとかしてくれ” どうやったら、挟まんねん それ

獣からしたら、人間の都合の境界ってないんだなあというのがよくかわる。

しばらくして、当然ある欲求が湧いてきた。

自分で仕掛けて、捕獲・止め刺ししたい

今までは誰かの監督下での作業という名目だったのだが、一年任期というのが決まっていたので、少し焦っていた。この機会を逃すと、もうやれないかもしれないと

上司から”罠(狩猟免許)取れば、やってもええで”

ここで狩猟免許を取得するという全うな手続きを行うことになった。

体格を変えた私の方法

私をよく知る人からすれば、デスクワーク中心だった生活以前とそれ以後では明らかに体格が違うことがわかるだろう。

お世辞にもいい体とは言えなかった。中性脂肪の多い、典型的な隠れ肥満で貧相かつメタボな。

走るの大嫌い、筋トレ大嫌い人間が、いかに変化したのか。

単純に、それが仕事になったからである。

正確に言うと、仕事のパフォーマンスが上がるから思い込みでそれも仕事のうちかなというのを理解したからである。

少しでも、筋力・体力・瞬発力があった方がいいということなだけである。

若い時はそれこそ肉だプロテインだといって、筋トレするためにジムにも通っていたが、今はそんなこと一切しなくなった。

そんなことをしなくても、普段の生活と仕事で、意識をするだけで充分に筋トレになるし、それを維持するだけの筋肉量があればいい。後、疲労が蓄積してるなーと感じたら、動かないし、食べないし、ボーっとするだけ、ただ寝るだけ

後、食生活がかなり変化した。ここでも話題にしたが、すこぶる健康的になった。

夜漁に出ていた時は不規則な勤務で寝不足がちだったが、今は睡眠時間が十分に確保出来ている。

冗談でRIZ○P見たく、写真集でも出してみようか と事あるごとに言うと笑われるので、お披露目はしないが、いい傾向だなと個人的に思う。

“りょうし”への道-猟師編②

初出勤当日の出来事は今でも鮮明に思い出す。

上司から猟友会への挨拶がてら、”捕獲檻に入ったイノシシの止め刺しに行くぞ”

マジか!?

いきなりか。

”こんなことよくあるんですか?”

”毎日やで、そやから君らを雇たんやで”(私含めて3人が新規に採用されていた)

現場に到着すると、檻の管理をしてくれている地元の猟友会のおっちゃんらがいた。

春先なので、毛が抜けかかっていた豚みたいなデカいイノシシが入っていた

”新入りの子なんで、よろしく”

”おー若い子やん、前はおっさんやったからなあ、期待しとるで”

”よろしくお願いします”

いろいろ、現場でのやり取りが説明される。

”まあ、基本的には猟友会の人らが止め刺しするから、その手伝いや、檻から死体をひっぱりだしたり、軽トラに積んだり、罠の再設置をしたり、ヌカまいたり”

”じゃあ、次いくで”

え、え

次の現場では、畑の網に絡まったシカがいた

”これは俺らがやるし、見といて” えええ

どこからともなく、鋭利なもので、仕留める。

”さあ、これを火葬場に運ぶで”

”最初やから、いろいろ手続き踏んだけど、明日からやってもらうから”

えええええ

”俺らは市民からの依頼・苦情対応が仕事やから、すぐに現場に出向いて処理するんや”

初出勤を終え、帰宅した晩は興奮して寝れなかった。

明日からどうしよう、とかではなく 明日はどんな現場があるんだろうか という高揚感に満ちていた

 

“りょうし”への道-猟師編①

少し思う事があって、東日本大震災被災後、地元に戻ってきた。

山に行くか、海に行くか、はたまた両方か。

アルバイトでちょっとした研究の手伝いをしていた。湖畔近くの公園で昼になると寝っ転がりながら考えた。まだ悩んでいた。趣味でやるならまだしも、狩猟を仕事にすることは可能なのか?と。漁師はほんとに接点が浮かばない。どちらかというと山の方へのウェイトに思考が割かれていた。

研究というものは科研費とか予算がつきもので、急に雇止めになることが決まった。次をどうしようか。

当時の求人情報サイトで”有害駆除”、”獣害”、”猟師”といったワードで仕事がひっかかることはほとんどなかった。

しかし、このタイミングでとある地方公共団体である職種が二次募集されていた。”有害駆除の捕殺員”

なんというネーミング(ちょっと違っていたかも)!!

仕事内容を見てみると、捕獲した動物の止め刺し作業の補助があります。と

これだ、エウレカ!、早速応募した。

どうやら、欠員募集のようだ。

面接でいきなり、血は大丈夫ですか?とか重たいものの運搬とかありますけど、体力はありますか?外回りをしてもらうことになるけど、運転は大丈夫ですか?とか

正直、当時は力がある方でもなく、デスクワーク中心の生活をしていたので、どれもあまり経験したことがないので心の内では何とも言えないが、“平気だと思います”、”大丈夫です”とだけ答え、面接を終えた。採用は合格。

後日談ではあるが、二次募集でも辞退者が出ての補欠合格だったらしい。

そんなことはもういい、肩書なんかどうでもいい。狩猟の舞台に上がることができて、嬉しさが爆発しそうだった。

面接後すぐ一週間後に初勤務となった。

興味の対象

目覚め

歩む道の方向性がわかりかけてきた

”何かを掴みたい”これは嘘ではないだろう

片手で握るというよりも、両手でがっしりと掴むような

狩猟採集が好きなのは間違いない

ただ、それだけでもない

もっと根源的なもの

物理的なもの・精神的なもの

進路相談で「カメラマンになりたい」と言ったあの日のこと

少しばかり点がつながった

ああ、私は”とる”という行為に興味があるのだ

禁断の果実よろしく、ロゴが示すような世界で自由に何かを