より美味しく食べれたもの

最近読んだ本の中でこの本(世界の絶滅危惧食)は特に良かった。

やっぱこの辺りに興味が集中している。

それで、いろいろ思い出したことを列挙しておく

食わず嫌いをしてたけど、いい発見もあった

・ナスとヒラタケのカルボナーラ

ナスとヒラタケをバターで炒めて、塩コショウで少し味付け

パスタを茹でて、カルボナーラの元を皿に後乗せ(フライパンで混ぜない方がよい)

・ヒラタケの天婦羅

採れたてが最高

・ムキタケを入れた赤から鍋

食感・味共にとてもいい

・赤から鍋(鹿)

夏の雄鹿の脂がのっているやつでやるといい

どのエリアの鹿がうまいのか、という仮説がひとつあって、エゾシカは本州のシカよりも美味しいとよく聞くのだが、その裏ずけがとれた

ジバチ(クロスズメバチ)もミツバチと同様にターゲットにされやすい

ヘボ追いをするために、紙縒りを付けて飛ぼうとした瞬間にキイロスズメバチが背後から襲撃し、搔っ攫っていったのを目撃したこがあったし、ハチの巣がツキノワグマにほじくり返されているような状況を幾度か見た

やってみようと思うレシピが増えた。

踊り

なぜ、人は踊るのだろうか。

求愛行動、五穀豊穣の為の祈り、「宇宙を自分の中に感じたいから」、「天動説から地動説へのコペルニクス的転回」

サウンドに合わせて、体を動かす

比較的継続してやっていることの一つに、これ「踊り」がある。

「踊り」と言っても、ただスポーツジムのダンスレッスンに参加しているだけである。

決まって参加しているのは、ZUMBAというフィットネスプログラム

特に意識しているのが、インストラクターに合わせて、振り付けを即興で真似る反応(反射神経)と日常と違う体の使用感(柔軟性)

コロナ禍で時短になったが、ノンストップで動き回るスタミナ(水分無補給)

後、知っている楽曲が流れると、インストラクターを見なくても、自然と体の動かし方がわかるので、踊れる

なんか自然発生的な踊り方ではないが、私なりの回答

これが出来なくなったら、年をとったなあとしみじみ感じる日が来ると思う。

大地との接点

樹上生活をしていた猿が大地に降り立ち、二足歩行をするようになったとされる。

それにより、行動範囲が拡がった。

ストレスを受ける部分が手から足にへと重点的に変化した。

人の足(靴)の歴史の始まりである。

最近感じるのは、昔より靴を探すのが手間ではなくなったという事。

私の靴サイズは28.0~28.5cm

現代人の平均足サイズが伸びているという研究結果もあるようだ。

便利な靴がいろいろ売られているし、実際私も何種類か使用している。

どこまで足サイズが伸びるのか?というのはあまり興味がないのだが、

乗り物を使うことによって、人は大地より少し上の空間を目指すようになった。

このままいくと、爪がなくなって、爪切りしなくていいようになるのか

足の五本指もいらないから、指もなくなるのか

それはわからない。

私はまだまだ大地とは離れられそうにもない

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竹林の伐採

一週間ほど竹林の伐採をしていました。

なかなか大変な現場で、ガイドバーとソーチェンが傷んでしまいました。

STIHL MS194をオレゴンspeed cut nanoに換装して使用していますが、

ガイドバーは竹と倒木に挟まれて、グニャッってなりました。

ソーチェンはmakitaの80TXL-51Eと互換性があるので、安くなった時に仕込んでいます。

竹はすぐ刃が傷みますね。刃研ぎはほどほどに時間優先でやってます。刃の先端のエッジが捲れている部分だけシャシャシャって感じです。

“りょうし”への道-漁師編ラスト

別れは夏の太陽が煌めく日だった。

大学を卒業した街で同じく、又も新たな門出を迎えることになった。

親方から「何かあったら、○○水産を宣伝してや」「最後くらい、○○(番頭)に挨拶せえよ」そう言われ、下宿先を後にした。

何か清々しさがあった。

あの日、山/海の”りょうし”をやろうと決意した日から数年がたった。

これからは自分の力で”りょうし”像を作っていかないといけない

この時、あらたな目標を見据えていたが、それはまた別の話・・・

シマヘビの卵とじスープ

冷凍庫の在庫整理をしていたら、底に残っていたシマヘビ

出汁をとって、卵とネギでスープに

「これはヘビ味だなあ」

なんとも表現しにくい味

ただ、決してまずくはない

ちょっと暖かくなって、散歩道にキノコ生えてましたね。

 

 

よく見かけるけど、名前がわかりません

鹿も転がってましたね。

“りょうし”への道-漁師編④

Yさんは会社とか組合では一目置かれる存在だった。

私は時間を守ることに関して少しルーズなところがあり、どうしてもばらつくことがあったのだが、Yさんはある決まった時間に来ては入念に出漁の準備をする人だった。

船上では、その一挙手一投足に目を配った。

漁に対しても珍しく合理的な人で、一度漁に出たら粘りたくなるが、いい意味で見切り・諦めが恐ろしく早い。時間を無駄にしない。

知的な感じで、情報通でもあった。

不漁で人手がいらない時期が来ると、Yさんは来なくなった。

”あの人は何してはるんですか?”

”あー網を作る手伝いしてるんよ”

”じゃあ、副業がありなんですか?”

”あー何生いうよる” ”あいつは特別や”

そんな感じだった。

本来3人でやる仕事を2人で任された時、本気のYさんの仕事ぶりは凄いの一言だった。

珍しく身の上話をする時があり、聞いてみた。

”なんか網仕事とか動きが上手ですけど、若い時何かやってはったんですか?”

”大学では陸上やってたなあ、海の仕事はそれからや”

なんで、そんな人が漁師の世界に?深くは聞かなかった。

私は猟師時代からある副業をしていた。その時間が欲しかった。

それがきっかけであるトラブルが起きた。

出漁しない時の仕事を陸仕事と言っていたが、どうしても仕事の時間を変更してもらいたかった。

”あー何いうとんねん?” ”そんなん許されるわけないやろ”

その時は早めに作業を終わらせたかった。

一人で作業していると、Yさんも早めに来ていた。

”何やっとんにゃ、それはこうするんや”  多くは語らなかったが、笑っていたのが印象的だった。

その後、なんかもやもやする時期を過ごしたのを覚えている。

不漁で満足に漁ができない、生活が向上する見通しもない、しかし、ルールはルールと

なんか陸にあがった魚みたいな気持ちだった。

“りょうし”への道-漁師編③

日没後の船からみる夜景が特別だった。

私にとって、大漁かついろいろな魚種が網にかかるのが最も興奮する時であり、肉体的・精神的な疲れを忘れさせる唯一の瞬間だった。

年末に向かって、魚の活性が下がると、シーズン終了。

漁師の忘年会は牛肉(ステーキ)だった。

年明けの冬の漁は寒さに堪えた。

ただでさえ、寒さに弱い私が何枚着込んだことか。

ある漁が始まると、豊漁を願い、香川県の金刀比羅宮にお参り。

これは意外だったのが、休漁期間が長いこと。

一か月まるまる休みになることもある。

じゃあ、その間は何しているかというと、当然無給なので、他所に働きに行くか、ぷらぷらして遊んでいるか。

漁に出れない、出ていない時は何をするか

浜の清掃、船&網のメンテナンス、組合の行事参加とかいろいろ

休漁期間、休漁日、風が悪い日と出漁している日の方が少ないくらい

それに追い打ちをかけるような往年の不漁

”そりゃ、獲れる時にとるわな”が、率直の感想である。

とれすぎても魚価が値崩れする可能性があるが、獲らない事には始まらない。

海のガードマンをしている方が稼げるかもとジョークが飛ぶ。

世間のニーズと魚種の旬がマッチするタイミングが一番いい。

消費地候補のメインは海外は中国、国内は東京、大阪の順で選別された。

地元が消費地の候補に上がらないのが悲しい。

大漁が期待できる日を選べたら、さぞかしいいだろうか。

自然現象と社会の板挟みで、思っていたほど仕事で漁をすることは自由度がないなあと思った。自分で船を持つとそうでもないのかもしれないが。船上ではどうしても人間関係が濃くなるし、不漁だとなおさらそっちの方向の話題が多くなる。

そんな中でも人間関係で楽しみを見出せたのが、Yさんとの出会いだった。

“りょうし”への道-漁師編②

同じ街でも所変われば、視点も変わる。こんな場所に港があったのかと

中途採用の9月から船に乗ることになった。

その時は、夕方日暮れから漁に出て、真夜中には終了する巻き網漁に出ていた。

体験した漁とはまた別の漁で、肉体的にとてもきつかった漁法。

港から出て、魚探に反応があれば、ものの10分ぐらいでいきなりやりだす。

最初は網で囲った魚をでかいタモで氷間に放り込む作業をする(イケマとかもいうが)

それが終わったら、網の回収、これを人力でやるからとてもしんどい。

”まあ、最初は体も慣れてへんから、そんなもんやろ”

”そんなことよりも、もやいをマスターせんとな”

もやい?

もやい結びとはちがうタツにかけるロープテクニックである。

船の用語とか方言なのかと思うくらいにいろいろ名称があって、それを覚えるのに苦労した。

ちょっとした休憩とか、漁の合間を見つけてはもやいを練習した。

体の向き、利き手関係なく、迅速かつ安全にできるかどうかを

ちょっとしたロープの持ち方の違いで指を挟んだりしたら、軽く指が飛ぶと冗談交じりに言われたが、ほんとに油断してるとやばい。波の揺れ、船の重さ、もろもろいかなる条件でも出来るようにと

この頃は休みの日には小型船で刺し網漁にも出ていた。

これは2人だけのこじんまりとした漁だったが、すべてが少人数で完結できるからいいなと思っていた。