知識欲への対処

少し書き忘れたのがありました

金銭欲・物欲(所有欲)への対処

継続の深堀

きのこソムリエで思い出したんですが、この手の○○ビジネスって多いですよね。

かく言う私も全くないというわけではないですが、結局使わないものもたくさんありました(なんせ、とらないと話にもならないこともあるので)

で、今思う事は資格が必要とかの分野はもうかなりのレッドオーシャンな場合が多く、それらを維持するのも億劫になってきたということ。

人一倍知識に対する欲はあったと思います。フォトリーディングというか写実的に覚え、蓄えるという感じで

でもこれって、すごくメモリーを使用しますし、疲れるんですよね。

今はそんなすでにある網羅的な知識は捨てて、日長釣り堀で糸を垂らして、一つでも当たり(興味を引くもの)があればええなあという感覚ですね。

元々SNSとかを積極的に利用する方でもないですし、このブログでもそうですが、それよりも雑多なものは裏紙の白いとこに適当に書きなぐって、終わったら(興味が無くなったら)、くしゃくしゃにしてゴミ箱にぽいしてますね。

エウレカ(アハ体験)

健忘症(物忘れ)がひどい私がちょっとしたエウレカ(アハ体験)をしました

ずっとどこだ?どこだ?と心のつっかえとなっていたある物を探していたんですが、ただ何気に部屋を見渡していて、あ、ここだ!と思ったところにそれがありました。

やっとこさ部屋をきれいに、モノを少なくしておくことのメリットを感じる場面でした

ますますやる気になりました

コロナ禍の反動

きのこソムリエ

とある雑談で

「○○さん、きのこ詳しいんですか?」

「別に、とって、食っとるだけやで」

「でも、なんかそれでプロデュース出来るんじゃないですか?」

「んん、きのこソムリエとか!?」

咄嗟に出たワードが面白すぎて、検索したら、これがすでにあるんだ

きのこソムリエ-google検索

きのこソムリエ資格認定試験

なるほど・・・

連続数

”れんぞくすう”っていう遊び知ってますか?

横4マス×縦100マスを一枚として、のりしろ部分を継ぎ足していって延々と数字を書いていくという遊びで、トイレットペーパーみたいにロール状にしていくという

これだと上限は9,999で頭打ちですが、マスの両脇に余白があるじゃないですか?

あと両横1マス分ずつ余白があって、無理くり6桁まで可能ということは999,999

という設定を追加してました。

何処までやったか忘れましたが、子供時分に抱えきれずに芯から崩れるというのを覚えていて、とんがりコーンみたいな形に変形しました

狩猟採集型投資戦略

株がすごいあがっているみたいですね。

あ、野菜のカブじゃないです、いわゆる株価ってやつ。

正直なところ、昭和バブルの頃は小さすぎて、「何それ、美味しいの?」的な感覚なんですが、流石にその辺に疎い私でも聞こえてくるくらい、今の株価はすごいと。

でも学生の頃に証券口座開設してたんですよね、何を思ってか

で、学生当時はインターネットバブル期で雨後の筍のようにITベンチャーが乱立してたんで、興味本位で買ってみたものの、暴落に遭遇するというのをちょっと経験してました。

で、やっぱり気になるじゃないですか。

ちなみに、私はiDeCoとかNISAやってません。

そもそもあんまし、長生きするとも思ってなかったので。

宿命

じゃあ、なんでこんなタイトルで話をしようと考えたのかというと・・・

投資戦略も結構、性格で別れるなあと思ったので。

巷で云われるインデックスとか投資信託系のやつ全く興味ないんですよね、それのメリットを延々言われても

今は一次産業(農林水産)関連企業とかナスダックのITハイテク企業とか、いわゆる個別株をちょこちょこ調べてます。

マーケット巡り

旅先でやる事といったら、マーケット巡りなんですが、

これを日常生活に落とし込もうとして、朝市を見に行くことをやってます。

人間は野生の名残で、徘徊して、新しい場所を発見すると多幸感が得られるらしい(徘徊≒歩いて、行動範囲及び距離をひろく、長く複雑にすること)

この場合、場所ではなくモノ・コトなんですが、特に目的もなく、ぶらっと見て帰るのをつい最近始めました。

なんかイワシが食べたくなりました。

素描と泥団子、時々レオナルド・ダ・ヴィンチ

幼少期に熱中していた事を思い出し、今のこの時に再現しようと試みています。

ひとつは、素描

映像技術やパソコン・スマフォ全盛の時代に敢えて、素描をやる事の意味は?って感じですが、写真に嵌る前はひたすら何かをトレースしてたんですよね。

だから、iPadにペイントソフトを入れて、ApplePencilでお気に入りの写真をトレースすることを偶にしています。

もうひとつは、泥団子

これもよくやってましたね。

軽食用のおにぎり作りか、はたまた何か他に派生可能か、いろいろ悩んでいます。

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レオナルド・ダ・ヴィンチが素描や解剖の鬼だったのは有名な話ですが、最近読んだ本で「人物を描くときは常に胸が向いている方向と逆方向(違う?方向)に顔を向けること」みたいなことが書かれてて、ひねりが立体感を演出することを理解していたんですよね。

また、スフォルツァ騎馬像を金型で作成しようと考えていたというのを知って、当時からダイカスト?技術があったのか?とか思ったんですが、当時ではそんな方法はなかったと記述されていて、発想の先進性が指摘されていました。

レオナルドが考えるポートレートとかダンス理論とか聞いてみたいし、演出したとされる劇とか舞台芸術を観賞してみたかったですね。

余談:お気に入りのダンサー

May J Lee

StellarのMinhee

自然相手の仕事と生活リズムを両立するために

コロナ禍の反動

多拠点生活の萌芽

猟師と漁師をやってみて思ったこと。

それは自然相手の仕事は収入あるいは売上の見通しが立たないということ。つまり自分の生活が金銭的・精神的に脆弱になりやすいということ。

何を当たり前のことを、と思われるだろうが。

自然豊かなエリアに移住し、生活すべてを自然に委ねるという方法も考えなくはなかったが、どうやらそれは私の理想の生活ではないらしい(この辺りの心理は震災の影響があるのかも)。

収入の基盤を自然に頼る方法と頼らない方法、どちらがいいとかの話ではなく両方やる方向を模索した及びその渦中

それに加えて生活リズムが崩れなくするためにやらないことをいくつか決めた

長時間労働はしない、夜勤はなるべくしない、スケジュールは埋めない(なるべく空けておく)

自分に合う猟師と漁師の仕事が見つかれば、真っ先に飛びつけるように

(まあ、仕事じゃなくてもいいかもしれませんが・・・)

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大枠はこんな感じです。細部はまたの機会に

宿命

遺族・親戚によく似た人らがいて、

「お前は○○にそっくりやから、すぐ死ぬな」と囁かれていた。

彼らは若くして、特段不慮の事故でもなく、40,50代そこらでこの世から離別した。

そんなことを青年期に親戚の集まりで聞かされていた。

彼らを反面教師に仕立て上げ、それとは逆の行動をするようになった。

これらを踏まえ、短命を意識して生活していたら、どうなったか。

焦りから多少無理をしてでも、やりたいことをやっておこうという考えだった。

今は少し違う、気が楽になった。もう無理はしないということ。